2010年09月22日
【知的生産】『梅棹忠夫 語る』小山 修三(聞き手)
梅棹忠夫 語る (日経プレミアシリーズ)
【本の概要】
◆今日ご紹介するのは、『知的生産の技術』で知られる梅棹忠夫さんの最後のメッセージ。吹田市立博物館館長である小山修三さんを聞き手に、亡くなる直前まで続けられた「放談」をまとめたものです。
その内容も、登山や探検に始まり、記録術、情報産業論、マナー等々多岐に渡る興味深いもの。
気さくな語り口で綴られた本書は、梅棹さんの著作を知らない方でも楽しめる傑作だと思います!
いつも応援ありがとうございます!
【目次】
第1章 君、それ自分で確かめたか?
第2章 文章は誰が読んでもわかるように書く―記録と記憶の技術(1)
第3章 メモ/スケッチと写真を使い分ける―記録と記憶の技術(2)
第4章 情報は分類せずに配列せよ―記録と記憶の技術(3)
第5章 空想こそ学問の原点
第6章 学問とは最高の道楽である
第7章 知識人のマナー
第8章 できない人間ほど権威をかざす
第9章 生きることは挫折の連続である
エピローグ つねに未知なるものにあこがれてきた
【ポイント】
■1.文章は単文の連続で書く小山 民博が始まった頃、若手を登用して新聞連載をしようとして、「途中で投げ出してしまった」と言ってたでしよ。何が悪かったんですか?
梅棹 みんな、むつかしい文章、書くからや。複文というのはわかりにくい。単文の連続で書かんと。
小山 だけど、むずかしい文章を書いたら、かっこいいじゃないですか(笑)。
梅棹 それがいかん。それが一番だめなこと。「かっこええ」と言うけれど、科学はかっこうではできない。われわれの仕事は芸術と基本的にちがう。芸術的にすぐれているフリをしたらいかん。そんなことは、われわれにとって、どうでもいいことや。
■2.メモは自分があとで見てわかるように書く
小山 梅棹さんのノートを見ると、きっちり楷書で書いてあるんですよね。(中略)
これもやっぱり科学的な秘密のひとつなんでしょうか。きっちりわかりやすく書く。くずし字しない。
梅棹 メモでもノートでも、あとから自分が見てわかるように書かなあかんわな。
■3.写真では細部の構造がわからないので図に描く
梅棹 そう。写真ではあかん。写真では細部の構造がわからへんのや。目で見て、構造をたしかめて、その構造を図に描くんやからね、ようわかる。
小山 目でたしかめていくわけですね。
梅棹 写生をするということは当然、そういう作業を伴う。写真ではそれがない。写真もたいへん有用、役に立つけれど、ちよっと絵とは機能がちがう。フィールド・ワークの補助手段としては、写真よりも絵のほうがずっといい。その場でシューッと線をひいて、欄外にメモが書きこめるから。
■4.分類するな、配列せよ。そして検索が大事
梅棹 整理好きというより、日本のインテレクチャルはひじょうにまちがってる。全部、分類がほんとに好きで、すぐ分類したがる。整理って言ったら分類だと。わたしからすれば、分類には意味がない。分類はするな。
小山 整理と分類はちがう。
梅棹 ぜんぜんちがう。「分類するな、配列せよ」。機械的に配列や。それでいったらいいんや。大事なのは検索。しかし、ほとんどは分類して、それでおしまいになってる。
■5.思いつきこそ独創
梅棹 どこかでだれかが書いていたんだけど、「梅棹忠夫の言ってることは、単なる思いつきにすぎない」って。それはわたしに言わせたら「思いつきこそ独創や。思いつきがないものは、要するに本の引用、ひとのまねということやないか」ということ。それを思いつきにすぎないとは、何事か。
■6.テレビは思想の媒体ではない
梅棹 とにかく、活字人間には、放送みたいな雑な仕事はたえられんな。(中略)
切ったり貼ったりの編集が、発言者の最終確認をとらないでやられてしまう。本だったら、最後の最後まで、ここ削ったり、ここは誤解を生むからちょっと足したりってできるけれど、テレビやラジオでは、それは発言者にはできない。だから責任が持てない。
小山 その発言も、梅棹さんなんかであれば、話すときには、ちゃんと予稿をつくって演説するでしょう?
梅棹 あれは思想の媒体ではないな。
■7.請われれば一差し舞える人物になれ
小山 「請われれば一差し舞える人物になれ」とよくおっしゃいますね。
梅棹 そうや、人には逃げてはならない状況がある。そのとき、ちゃんと舞ってみせることが必要だ。責任を果たす覚悟と能力がいる。
■8.宮本武蔵になるな
小山 もうひとつ、ずっと気になっている言葉に「宮本武蔵になるな」があります。武蔵は、究極の技を極めた人として、ひとつの理想像だと思うのですが。
梅棹 技を磨くのには反対しない。しかし、剣の道は人殺しの技、そんなことに熱中して、他を顧みないというのは、人間としていささか淋しいのやないか。わたしが、山に登り、世界の民族をたずねたのは、デジデリアム・インコグニチ、未知なるものへのあこがれだけやった。
【感想】
◆実は梅棹先生の対談を読むのは初めてだったのですが、まず「関西弁」(京都弁?)であるのに、ちょっとビックリしました。もっとも先生の生まれは京都ですし、そのまま京大に入られたのですから、当たり前と言えば当たり前なんですけど、著作のせいか勝手に脳内で標準語変換されていたんでw
おかげで元々こういうインタビューというか対談形式ですととっつき易いのが、さらに増幅された感じ。
「学者・思想家」的なイメージから、敬遠気味だった方でも、すんなり読みきれると思います。
◆また、論じられている内容も、高校時代に放校されかかった話(山岳部として年間100日も山に登っていた)や、時代の寵児としてテレビに出まくっていた頃のお話などさまざま。
ただ、当ブログの読者さん的には、第2〜4章の「記録と記憶の技術(1)〜(3)」あたりがツボかもしれません。
「写真よりも図を描く」という話のところでは、先生直筆のスケッチが掲載されているのですが、これがまたかなりお上手。
何でも絵は子供の頃から上手かったそうなので、まぁ絵心のない私が真に受けてもしょうがないかな、とか(今なら、デジタルで写真を撮ったものに、そのままメモ書きもできるでしょうし)。
それ以前に「メモは読めるように書く」というのが、当たり前とはいえ、改めてグサっと来ましたw
◆そして、名作『知的生産の技術』誕生のくだりも読みどころの1つ。
当時は「工業技術以外に技術があるとは誰も思っていなかった時代」というのは、言われてみれば、確かにそうなのかもしれません。
知的生産の技術 (岩波新書)
ただ、それもさることながら、1963年の時点で「情報産業論」をぶち上げている方がスゴイような気もします。
情報の文明学 (中公文庫)
この本、読んでなかったのですが、レビュー見ても絶賛されてますし、今般アマゾンアタック(今さら)。
◆本書を読んで、私は梅棹先生の「人間としての魅力」に惹き込まれてしまいました。
気心のしれた聞き手(小山修三さん)相手ということで、リラックスしながらも、本音がバシバシ。
読み心地はライトなのに、実は語っている内容はディープという、美味しい1冊。
本当に惜しい方を私たちは失ってしまった(本年7月没)のだと、痛感した次第。
偉人の最期の言葉を堪能して下さい!
梅棹忠夫 語る (日経プレミアシリーズ)
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【編集後記】
◆土井さんのメルマガで知った1冊。超ヤバい経済学
あの『ヤバい経済学』の続編がいよいよ登場ということで、これはかなり楽しみです!
ご声援ありがとうございました!
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日本の文化人類学の草分けとも言える、京都大学名誉教授の梅棹忠夫氏による「知的生産の技術」(岩波書店)。初版が1969年で、現在73刷までいっているようだ。出版されては、す ...
知的生産の技術【本の宇宙(そら) [風と雲の郷 貴賓館]】at 2011年04月09日 16:56
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